代表吉﨑グレイス
プロフィール
1973(昭和48)年生まれ
愛知県岡崎で生まれた後、高松(四国)、名古屋、日野、立川と父親の転勤の都合であちこちを転々とした後、高校は山形、看護学校は浜松、就職先も神奈川県大和市、三鷹市と、引っ越しは20回以上経験しています。
その分土地への執着は無い方ですが、様々なところに住んだ中でも、小学校高学年~中学3年間を過ごした立川が、私にとっては一番楽しく居心地のいい土地でした。
グレイスという名前は生まれた時からの本名です。よく、「ご主人が外国の方?(実際結婚していませんが)」と聞かれることがありますが、変わるとしたら苗字の方ですからね。(笑) 顔立ちの通り!?純粋な日本人です。転校するたびに「ガイジン!」などといじめられたりもしましたが、今となっては、この顔とのギャップも相まって( ´艸`)すぐに名前を憶えてもらえるので、有難いなと思っています。
経歴
1986-1989年
立川市立第七中学校
1989-1992年
基督教独立学園高等学校
1992-1995年
聖隷浜松衛生短期大学
(現:聖隷クリストファー大学)
1995-1998年
大和市立病院(神奈川県)
1998-2002年
井之頭病院(東京都三鷹市)
中学時代は陸上部に所属。
100M、4×100Mリレーで試合に出場。
最高成績、4×100Mリレーで都大会3位は自慢です。
同級生のヤンキー男子から「番長」と呼ばれていました。
( ´艸`)
山形県西置賜郡という、山奥にある小さな学校。
各学年27名、全校生徒併せても80名程度の小さな全寮制高校で、通常の学業に加えて牛や鶏の世話から、畑を耕したり、田植え・稲刈りのお手伝い、雪深い場所だったため本格的な雪かき・雪下ろしなど、様々な体験をしました。
育英会や病院からの奨学金で学費や生活費を捻出していたこともあり、単位を落とすこと、留年などは決して許されない常に背水の陣で、過去最高に勉学に励んだ3年間でした。
母の実家が浜松で、親戚や知人が多く、故郷のような土地で、学生生活を楽しく送ることができました。
奨学金をもらっていた都合上、こちらの病院に就職。
消化器内科病棟で3年間勤務しました。末期癌の患者さんも多い病棟で、わずか3年とはいえ、看取りも多く経験させてもらいました。
奨学金のお礼奉公(返済義務がなくなる)の3年経ったところで、看護学校の実習の際に強烈に惹かれていた精神科で働きたいと思い、精神科病院へ移りました。急性期(閉鎖)病棟で2年、その後、アルコール依存症治療病棟で3年勤務。
2003年-現在
ライブリーデイサービスセンター
2002年1月~病棟勤務の傍らデイサービス立ち上げの準備を始め、2002年12月に退職。2003年ライブリー立ち上げ、現在に至ります。
立ち上げに至る詳細は、書籍「いきるいかすいかされる」を
お読みくださいね。